アクション・フォトグラフィー
2025年 12月 01日 廣池昌弘
The English version is here.
画家ジャクソン・ポロックは、シュルレアリスムの延長線上で「アクション・ペインティング」を生み出しました。廣池もまた、「デジタル写真・シュルレアリスム」の延長線上において、ICM(Intentional Camera Movement)を写真技法の中心に据え、「踊るように撮影する」ことで、身体性や偶然性を積極的に取り込み、それらを「行為の軌跡」として定着させる新たな写真表現を、「アクション・フォトグラフィ」として提唱します。

アクション・ペインティングとは
画家ジャクソン・ポロックは、シュルレアリスムの延長線上で「アクション・ペインティング」を確立しました。これは、シュルレアリスムの代表的な技法であるオートマティスム(自動描画)の系譜に連なるものですが、下書きや事前の構想を行わず、踊るように、無意識下の直感に従って、絵具の滴下や飛散といった行為によって描画します。
そこには、絵具の粘性や重力といった物理特性による偶然性が組み合わさり、身体運動が抽象的な軌跡としてキャンバスに描かれます。ポロックの実践は、絵画を「物質的表象」から「行為の記録」へと再定義し、芸術制作の重心を“結果”から“過程”へと大きく移行させた革新的な試みでした。
ICM(Intentional Camera Movement)について
ICMとは、カメラを意図的に動かして撮影する写真技法の一つです。モータースポーツなどで用いられる「流し撮り」は、被写体の移動速度に合わせてカメラを動かし、被写体を鮮明に写しつつ背景を流すことで、被写体を際立たせる表現です。
これに対してICMは、被写体と背景の双方を「流す」ことで、従来の写真的再現とは異なる描画を生み出します。ICMによって生成される写真は、被写体の性質、移動速度、光の強さなどによって、その描画は大きく異なります。
自然・風景のICM
植物などの自然物や風景を、比較的短い移動距離のICMで撮影すると、被写体と背景が混じり合い、輪郭が曖昧になった印象画のような描画を得ることができます。このようなICMの手法については、写真家 Kah-Wai Lin 氏が「スローシャッターで印象派風景写真を撮る」として論文にまとめています。
httpss://nisifilters.jp/blogs/magazine/impressionist-photography

強い光のICM
クリスマスライト(イルミネーション)や花火などの強い光、あるいはコントラストの強い風景をICMで撮影すると、光は「連続する軌跡」となり、鮮明な線として表現されます。光は時間軸に沿って引き延ばされ、その変化が詳細に記録されます。これは絵画に例えるなら、無数のペンを立て並べ、キャンバスを動かしてそれらに接触させることで描く行為に近いものです。すなわち「強い光のICM」とは、「描く写真」なのです。

アクション・フォトグラフィとは
廣池は、デジタルカメラが持つ「膨大な枚数の写真を撮影できること」「撮影結果をその場で確認し、調整を加えて再撮影できること」という特性を活かし、「デジタル写真・シュルレアリスム」を提唱しました。
「アクション・フォトグラフィ」は、そのプロセスの一つである「偶然性を持った写真を基に調整し、再撮影する」という方法を用い、「強い光のICM」を写真技法の中心に据えています。リズミカルにカメラを動かし、踊るように撮影することで、身体性や偶然性を積極的に取り込み、それらを「行為の軌跡」として定着させる写真表現です。
ICMではカメラを自由に動かすことで偶然性ある像が生まれます。そして、デジタルカメラでは、その場で画像を確認し、調整して再撮影できます。具体的には下記のように、偶然性を含みながら自由に撮り、直観で何かを感じた時に調整して再撮影します。
自由に撮る>自由に撮る>直観で感じる>調整して撮る>調整して撮る
このプロセスにより、偶然に生まれた像を無意識の美意識で受け取り、作者の意図によって再構築を行います。
アクション・フォトグラフィの具体的な表現
ICM・クリスマスライト(イルミネーション)
廣池が「強い光」として選んだ1つがクリスマスライトです。日本の冬の街は、無数のLEDからなるクリスマスライトで飾られますが、LEDの開発には日本人が大きく関わっているからです。LEDは交流の周波数で点滅しますが、ICMで撮影すると、その光跡は点線となって現れます。一度のシャッターで、何千、何万と点灯しているLEDライトの軌跡が重なるので、その結果は予想が難しく、更にカメラの動き=身体の動きが加わり、自然の風景や宇宙のような、抽象的で神秘的な像が描かれます。そして、それは紛れもない身体運動の軌跡で、動くスピードやリズム、呼吸が「行為の軌跡」として描かれたものなのです。

ICM・花火
夏の夜に打ち上げられる花火は日本の夏の風物詩です。大きな花火は小さな花火が集まって出来ていて、空に打ち上るとそれらは一瞬で同心円状に広がりやがて消えていきます。通常の写真ではそれらは円状に一体となって写り、細やかな火花や弾ける様子と消えゆく様子は表現できませんが、ICMで撮影すると、火花の明滅が時間軸上に引き伸ばされ、弾ける瞬間から消えゆくまでの過程が詳細に写し出されます。カメラの自由な動かし方と花火の爆発エネルギーは複雑な偶然性を生み、宇宙や架空の生き物をも想起させる、抽象的かつ有機的な像を生み出します。それは、身体運動に絵具の粘性や重力などの物理特性による偶然性を組み合わせたアクションペインティングに近いものです。

アクション・フォトグラフィの意義
20世紀以降、写真は長らく「現実の瞬間を正確に切り取るメディア」として規定されてきました。しかし「アクション・フォトグラフィ」は、カメラを積極的に動かすICM(Intensional Camera Movement)を表現の核に据え、撮影者の身体運動・リズム・呼吸を「光の軌跡」として定着させる「描く写真」です。このアプローチは、写真を“出来事の記録”から“行為の痕跡”へと再定位し、写真史の枠組みにおいて新たな領域を切り開く試みです。
また、「アクション・ペインティング」が絵具の粘性や重力といった物理特性を媒介に、描きながら無意識と対話し、身体性を抽象作品へと昇華させたのに対し、「アクション・フォトグラフィ」は光の連続性と時間の伸長を媒介とします。デジタル特有の即時性を活かし、撮影と調整の反復を通じて無意識の美を取り込み、身体運動を抽象的な軌跡へと変換するのです。両者はメディアこそ違えど、「身体的行為と偶然性によって無意識の美を表出させる」という共通の哲学的基盤に立脚しています。すなわち「アクション・フォトグラフィ」は、アクション・ペインティングに対する、写真表現側からの現代的な応答に他なりません。
さらに、これまで美術史において「デジタルカメラ」そのものがその特性によって大きく語られることは稀でした。しかし「アクション・フォトグラフィ」がデジタルカメラでしか成し得ない表現領域を提示したことは、デジタルカメラが美術史における新たな表現の結節点となり得ることを示唆しています。



