デジタル写真・シュルレアリスム宣言

「序章ー時間と偶然性」

廣池は「ヒメボタル」という小さな蛍の撮影に10年以上取り組んで来ました。撮影を始めたきっかけは、夜の森に飛び交う光の美しさに魅了されたことでした。しかし次第に、ヒメボタルの写真には「写真の概念に関わる大きな示唆が潜んでいる」と感じるようになりました。

 

「写真における時間」

ヒメボタルの撮影は暗闇で行うので難しく、従来、複数枚を比較明合成する手法が用いられてきました。しかし廣池は撮影時間帯と露光時間を工夫する事で、一枚撮りでの撮影に成功しました。ヒメボタルは日没後、暗闇が深まるにつれて飛び始めます。廣池はISO感度とF値を固定し、森が暗くなるにつれ、背景が適正な明るさに写るように、10秒、20秒、30秒、1分、2分と次第に露光時間を長くしていきます。ヒメボタルはフラッシュのように瞬間的かつ一定間隔で発光するため、写真には点の連なりとして写り、レンズの近くを通れば玉ボケとして表れます。ここで重要なのは、露光時間はヒメボタルの光の明るさそのものには影響せず、飛翔時間と共に写真上に現れる点や玉ボケの数に影響する事です。つまり、露光時間は、背景とヒメボタルの光跡とで異なる意味を持つのです。

写真はフランスでダゲレオタイプが発明された当初、数時間の露光時間が必要でした。それ以降フイルムやカメラは瞬時に撮影できるように進化を続けました。その為か、「写真は瞬間を記録するもの」とか「写真は3次元を2次元に変換する装置」と定義されるようになりました。しかし私たちが生きているのは3次元の立体空間に時間の流れる4次元世界です。したがって写真の本質は、「写真は4次元(3次元の立体空間+時間)を2次元に変換する装置」と再定義すべきです。

 

「偶然性」

廣池が気付いたもう一つの重要な事は「偶然性」の重要性です。ヒメボタルは撮影者の思い通りには飛んでくれず、一枚撮りのヒメボタル写真の光跡はすべて偶然に委ねられています。そのため彼は、タイマー・レリーズを装着した複数台のカメラで一晩に約1000枚を撮影し、6月初旬から7月末までほぼ毎日撮影を続けます。シーズン中の総枚数は4万枚を超えますが、作品として選ぶのはわずか20〜30枚です。つまり、数千枚から1枚の写真を選ぶわけですが、その写真は、通常作者が思い描いて撮る写真とは違うイメージの写真である事があり、表現の幅を広げてくれるものなのです。

しかしある時、「偶然に撮れた写真を果たして自分の作品と呼べるのか?」という疑問が生まれました。調べるうちに、偶然性を芸術の核に据えた100年前の運動―「シュルレアリスム」に出会ったのです。

 

「シュルレアリスムとは?」

1924年10月、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表し、20世紀を代表する芸術運動が誕生しました。この運動の目的は、人が認知する現実に、理性や論理を超えた「無意識」を解放し、現実を超えた「超現実(Surrealité)」の世界を探求することにあります。その思想の基盤となったのはフロイトの無意識の理論や精神分析であり、人間の心の大部分は無意識の領域に存在し、そこには理性の検閲を受けない「無意識下の真実」が潜んでいると考えられました。

シュルレアリスムの絵画は、サルバドール・ダリの「溶ける時計」に代表されるように「夢」を描いた作品で知られていますが、偶然に生まれた形や模様を無意識下の感覚で受け取り、それをもとに描かれた作品群も存在します。

「シュルレアリスムは難しい」と言われることがありますが、それはその本質が「無意識の解放による創造」という根源的かつシンプルな目標にあるため、そこから生まれる作品群が極めて多様で広範な表現を持つからだと言えるでしょう。

 

「シュルレアリスムの主要な手法」

シュルレアリスムの芸術家たちは、理性の介入を排除し、無意識のイメージを作品に表出させるため、さまざまな実験的手法を用いました。

  • 無意識で創作する:オートマティスム(自動記述・自動描画)
    意識的な意図や計画なしに、手を素早く動かし続けることで、無意識が持つ衝動を紙やキャンバスに記録しようとしました。これは、理性の介入を排除し、無意識を創造の源泉とする手法です。
  • 無意識を再現する:ベリスム・シュルレアリスム(写実的シュルレアリスム)
    フロイトは夢を「無意識への王道」と呼び、サルバドール・ダリやルネ・マグリットなどは、無意識の示す「夢の光景」を極めてリアルで写実的に描きました。全く異質な事物やイメージを、関連性なく並置し、それによって強烈な違和感を生み出す手法は「デペイズマン(異質なものの並置)」と呼ばれます。
  • 無意識で感じる:偶然性の導入
    葉や木目の上に紙を置いてこする「フロッタージュ」、適当に置いた絵具を転写する「デカルコマニー」など、偶然性を取り入れた技法を用いて生まれた表現を基に作品を制作しました。これらの偶然の産物は、理性では予測できない潜在的な美意識を引き出す手法として用いられました。

 

「シュルレアリスムと写真」

シュルレアリスムが目指すのは、空想やファンタジーではなく、現実と結びついた「超現実」です。写真は基本的に「現実世界を写す装置」であるため、シュルレアリスムに適したメディアと言えます。

シュルレアリスム運動が始まった当時の、マン・レイやマックス・エルンストといった写真家たちは、現実そのものの再現ではない以下の実験的な技法を用いました。

  • 多重露光(Multiple Exposure)
    同じフィルムに複数回露光を行うことで、異なる被写体や時間を一つの画面に重ね合わせ、幻想的で曖昧なイメージを生成する技法です。
  • フォトグラム(Photogram)
    カメラを使わず、印画紙上に直接物体を置いて光を当てることで、影絵のような抽象的で神秘的なイメージを記録する技法です。マン・レイはこれを「レイヨグラフ」と呼びました。
  • ソラリゼーション(Solarization)
    現像中に意図的に強い光を当てることで、画像の階調を反転させたり、物体と背景の境界線を強調したりする、非現実的で異様な視覚効果を生み出す技法です。
  • フォトモンタージュ(Photomontage)
    複数の写真を切り貼りして組み合わせ、不条理な結合や批評的な意味合いを持つ一つの新しいイメージを構成する技法です。

これらの技法により、現実には存在しない風景や幻想的なイメージが生まれました。写真はシュルレアリスム表現の一手段となり、単なる記録装置から芸術的創作の手段へと昇華しました。

 

「無意識の概念の変遷」

シュルレアリスムは、ジークムント・フロイトの無意識の理論や精神分析を基盤として誕生しました。「無意識」は、抑圧された願望やトラウマ、性的な衝動(リビドー)が潜む深層心理の領域(エス)であり、夢や失言といった形で顕在化すると解釈され、アンドレ・ブルトンをはじめとする芸術家たちは、無意識をオートマティスムなどの手法を通じて表出させようとしました。

しかし、その後、無意識に関する研究は劇的に進化しました。認知科学や神経科学の発展、特にコンピューター科学の進展により、無意識の概念はより科学的かつ実証的なものへと変化しています。この進展は、無意識を単なる深層心理の領域としてだけではなく、人間の知覚・判断・行動を支える高度な情報処理システムとして再定義しました。

情報処理という観点から、知の働きや性質を理解する学問:「認知科学」では、人間の思考や判断、意思決定が、性質の異なる二つの情報処理システムによって行われるとする「二重過程理論」が提唱されています。その中で「システム1」は、見る・聞くなどの知覚機能から入ってくる情報を即座に処理し、直感的な判断や行動を無意識的に行います。その為、超並列処理を高速で行い、ほとんど集中力を必要としません。これは人間の思考の大部分を占める、高度な情報処理システムですが、時に間違いを起こす可能性もあります。「システム2」は意識的で、集中力を必要とする「考える」部分であり、論理的で線形的な処理を行い、複雑な判断や検証、システム1の直感的判断の抑制・検閲を行います。

芸術で重要な「見る」という行為は、視神経から入ってきた膨大な画像情報を記憶し、特異点の抽出やベクトル化を行い、見ているのが何であるか、状態はどの様であるか等を多視点的に解析しますが、その処理を瞬時に無意識に行うのが「システム1」です。そして、その情報を基に考え、行動に移す時に意識的で論理的な「システム2」が働きます。

また、近年では、人間の脳における情報処理と、自然界における数学的・幾何学的パターンとの関連を探る研究も進展しています。たとえば「フラクタル」は、木の枝分かれや人間の血管・神経など、自然および人体に広く見らる「自己相似性」という数学的構造ですが、本能的な安心感をもたらし、潜在的な美意識や快感として知覚されると考えられています。つまりこれまで「感性」や「センス」として曖昧に言語化されてきた概念は、無意識下で行われる視覚情報などの高度な情報処理や、蓄えてきた美的パターンのデータベースとのパターンマッチングという側面を持つと考えられます。

そして、人は車の運転とか箸を持つなど、意識せずに色々なことが出来るようになります。これは意識的な「システム2」から無意識の「システム1」への以降で「自動化」と呼ばれています。

人間の脳の神経細胞(ニューロン)は、使用頻度に応じて結合部(シナプス)の効率を変化させる神経可塑性(Neural Plasticity)という仕組みがあります。動作を繰り返す=訓練することで、神経可塑性により特定のニューロン間の結合が強化・最適化され、専門の処理回路が作られ、「自動化」が実現します。「自動化」は専門の処理回路により、無意識に出来るようになるだけはではなく、正確性とスピードが向上します。

これは、動作を伴わない「見る」という行為についても同じで、意識して「美」を求めていると、美的パターンのデータベースに蓄えられ、それを繰り返せば「自動化」が進み、無意識に素早く美しい光景を見つける事ができるようになる。それは無意識下の美意識を磨くという事です。

「シュルレアリスム」の核心は「無意識の解放による創造」にありますが、このように、無意識の概念の変遷と共に、シュルレアリスムの概念もまた広く、深く拡大しています。

 

 

 

「デジタル写真・シュルレアリスム」

シュルレアリスム運動が始まった当時のフィルムカメラと違い、現在はデジタルカメラが主流となりました。デジタルカメラがフィルムカメラと決定的に異なる点は、以下の2点です。

・物理的・経済的制約を超え、膨大な数の写真を撮影できる

・その場で結果を確認し、即座に微調整を加えて再撮影できる

また、「写真は4次元(3次元の立体空間+時間)を2次元に変換する装置」と考える廣池は、この「時間」を再考する事で写真表現の幅を広げました。露光時間が長くなると、その間に被写体が動く可能性が増え、ICM(Intentional Camera Movement)のようにカメラを動かして撮影する事も出来ます。露光時間に幅を持たせて考える事で、写真表現の可能性は一気に広がり、そこに偶然性を取り込むことが出来るようになります。

廣池は、デジタルカメラの特性を最大限に活かし、より科学的になった無意識の研究も踏まえ、ICM等の偶然性を生む手法と、無意識を介在させるプロセスを用いることで、「デジタル写真・シュルレアリスム」を再定義しました。

偶然性を持った膨大な写真の中から選ぶ

シュルレアリスムの画家は、理性の介入を排除するために、手を素早く動かし続けて描く「オートマティスム(自動描画)」を用いました。写真は基本的にシャッターを押すだけで創作が完結するため、自動的に創作する事は容易ですが、単に自動的な撮影を行うだけでは作者の無意識すら関与しない結果に陥ります。 しかし廣池は、デジタルカメラで可能になった「膨大な枚数の写真を撮り、その中から選ぶ」という行為に、現代的な無意識を表出させるプロセスを見出しました。ヒメボタルの写真のように、生き物の動きなどの偶然性を持たせて撮影した数千枚の写真の中から1枚を選ぶことは、自身の無意識下の感覚と共鳴する1枚を見つけ出し、無意識の美を可視化する事です。

偶然性を持った写真を基に調整して再撮影する

廣池は、日本の花火やクリスマス・ライトなどをICM(Intentional Camera Movement)で撮影していますが、ICMではカメラを自由に動かすことで偶然性ある像が生まれます。そして、デジタルカメラでは、その場で画像を確認し、調整して再撮影できます。このプロセスは、適当に置いた絵具を転写する「デカルコマニー」を基に加筆して作品を完成させたシュルレアリスムの画家の方法に近いもので、偶然に生まれた像を無意識の美意識で受け取り、作者の意図によって再構築する行為です。

「デジタル写真・シュルレアリスム」のアプローチは、歴史的な芸術運動であるシュルレアリスムが追求した「偶然性」の概念を、現代のデジタル技術と結びつけて再解釈したものです。それは「シャッターを押しただけの基本的な創作の写真でありながら、単なる現実の記録に留まらず、偶然と必然、そして理性を超えた無意識との対話から立ち上がる、現代における「超現実」の世界です。そして、シュルレアリスムは単なる芸術の様式ではなく、「美しさとは何か」という芸術の根幹を哲学的かつ論理的に探求し続ける営み、そのものであると言えます。